In vino veritas

イタリアには「In vino veritas イン・ヴィーノ・ヴェリタス」という諺があります。ラテン語ですが(もともとギリシャ語 Ἐν οἴνῳ ἀλήθεια)直訳だとワインには真実がある、諺としては、酔ったときにこそ本当のことを言う、といった意味で使われます。

思わず口走った言葉が本心を表すことがある、とはよく言われることで、酔ったときはその「思わず」の傾向が顕著なのかもしれません。楽しく友人と飲み、悪酔いしたりせず、本音で語り合うというのは、いいですね。

そんな機会には、やたら高くって最高においしいワインより、安くってほどほどにおいしいワインがいいようです。

今日はおいしいけれど安い赤ワインを2本、どちらも、高くておいしいワインも作っている有名なワイナリーのお得なワインです。

Bacca Rossa, Maurigi

Bacca Rossa, Maurigi

シチリアの安うま赤ワイン、バッカロッサ。一時よく飲みましたが、3年ほど前から何となく味の好みが変わって、ネーロダーヴォラ種に代表されるような南の品種より、下の方が好み。

Rosso del Veronase, L'Arco

Rosso del Veronese, L'Arco

ヴェローナの安うま赤ワイン、ロッソ・デル・ヴェロネーゼ

サルデーニャのワイナリーのリゾート

2008年9月3日にこのブログでミレイというサルデーニャのワインを取り上げたMireiところ、去年の夏前にワイナリー(www.perdarubia.it)のオーナー、レナート・ミレウさんの息子さんルーカさんから「ブログ見ました。私はこのようなリゾートをやっております。ぜひ来てください。」という内容の非常に丁寧なメールをいただきました。ここでご紹介しておきます。


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アリスタ

アリスタというのは豚の肩ロースの辺りの肉のことでしょうか、骨付きで売られているのが普通です。肉屋さんで売られている状態なども今度写真で撮りますね。

骨付きの豚肉を豪快にいただくこの料理、特にこれといったコツはなく、火を入れたら出来上がりですが、少しパサパサになりやすいので、パンチェッタ(イタリアのベーコン)の薄切りを、香り付けのローズマリー2、3本とレモンの輪切りと一緒に紐で縛りました。骨が6本ある1.5キロの固まりは少し大きく、紐を巻くと型くずれを防ぐ効果もあるのかもしれません。

まず、よく熱した厚手の鍋に油を引きます。よく熱しておかないとくっついてしまいます。

表面にまんべんなく焼き目をつけます。こうすると煮込んだときにうまみが逃げないといわれています。ちょっと焦げ目がついて風味良く仕上がるといいですね。

白ワインを1カップくらい(適当でいいです)注ぎ、フタをします。

たまに様子を見てひっくり返したり、塩こしょうをしてみたりしながら弱火で2時間ほどで出来上がりです。先日書いた付け合わせの茸が隣で煮えています。

肉を取り出して底に残った煮汁を少し煮詰めてソースにします。適当なお酒で香りをつけてもいいかもしれません。この日は少しカルヴァドスを入れてみました。肉を切って大きな皿に並べて、ソースは別の器に入れてお好みでかけるようにしました。

出来上がりの写真があると本当に良かったのだけれど、これは2皿目で、妻の作った1皿目(クルミのソースのオレッキエッテ:クルミをすり鉢でつぶして生クリームと混ぜたもの)を食べ、急いで仕上げてテーブルに出したらあっという間にみんな食べてしまったので撮れませんでした。

客人の来る前に開けておいたワインはランゲのワイナリー、チェレットCerettoのモンソルドMonsordo、カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローとシラーのブレンドです。瓶の表面にぶつぶつとMONSORDOと書かれてあります。上品だけれどまろやかでなかなかおいしいワインでした。

無題

このところミラノはますます涼しくなってきており、日が暮れるのもどんどん早くなってきて、秋であることを実感させられます。

「住めば都」という言葉は、どうも「都」に重みがあって少し違うのですが、住んでしまうとどこも同じであるようには感じます。それは僕の生活が、ピアノの練習をする以外は、ほとんど動物と変わらず、食べて寝る、その他雑事に追われているだけだからかもしれません。

今日はお昼にスパゲッティーニ、舌平目のラグー和えをつくりました。ラグーというのはミートソースのことです。先日ある友人の「今年の夏、サルデーニャ島でヨットを借りたときに船上で食べたハタ cernia のラグーのパスタが最高だった」という少しカチンと来る発言にヒントを得て作りました。魚の身を刻んでミニトマトを半分に切ったものとバジリコを炒めただけで充分おいしかったけれど、ニンニクとか白ワインとか入れてもいいのかもしれない。パスタはリングイーネとかトレネッテとかがあればよかったのかもしれないけれど時間がなかったのでスパゲッティーニで済ませました。これにサルデーニャの白ワイン、ヴェルメンティーノ vermentino を合わせるとうちにいながらヨットに乗った気分を味わえるという一品でした。(ここでその料理の写真が一枚欲しいところですが撮らなかったのでありません)

そういえば、かつて僕の悪友は「お前の頭上でも今はまだ太陽が回っているけど、子供が生まれたらいつの間にかお前の生活は子供中心、太陽ではなく子供が全生活の上を回るようになる」というようなことを言ってせせら笑っていた(せせら笑いつつそうしょっちゅうは一緒に飲み歩けなくなるだろうことを知っていて少し寂しかったのだろうとも思う)。そういう一面もなきにしもあらずであることは否めないと今は思う。

フロムミラン、ミラノから、といっても特に、もう、書くことはないんです。

例えば、この間のスカラ座のオルフェオは、というようなのは音楽関係の人には興味も持たれるかもしれませんが、観に行っていないので書けません。

自分が卵を産むときに卵を食べているわけにはいかない、というような言葉はどうせ昔の文豪か誰かの言葉のかじり読みだと思うけれど一理なくもないだろう。

書くことがないということを書くくらいなら書かないほうがまし、という意見もあると思いますが、じゃ、今、ベートーヴェンを演奏するのは新しい何か言いたいことがあってのことか、と言うと全然そうではないかもしれないし、そうでなくても書かれてあることを演奏することは出来てしまうところが再現芸術の浅はかさというか、奥深さですね。