Il Penseroso 物思いに沈む人

フィレンツェのサン・ロレンツォという教会にミケランジェロによって作られたメディチ家の礼拝堂があります。そこにあるロレンツォ・デ・メディチの墓のロレンツォ像には、”Il Penseroso イル・ペンセローゾ” 訳して「物思いに沈む人」というあだ名がつけられています。ロダンの『考える人』(訳の違う同じ言葉です)に強い影響を与えたと言われています。(このロレンツォ・デ・メディチは、”Il Magnifico イル・マニフィコ=偉大な” と呼ばれた人ではなく、その孫で、マキャヴェッリに『君主論』を贈られたことで有名な人です)

La tomba di Lorenzo, duca d'Urbino

Ritratto di Lorenzo de' Medici duca di Urbino

Crepuscolo

Aurora

この彫刻に霊感を得て書かれたのが、リストの巡礼の年第2年の第2曲 『物思いに沈む人』”Il Penseroso” です。

マリーダグー伯爵夫人へ書いたフランス語の手紙の中で彼が自分のことを英語で “Thoughtful” と読んでいたのは有名ですが、この言葉はイタリア語に直訳すると、Pensieroso、古いイタリア語ではPenserosoということになることも、この作品と関係があるかは分りません( http://en.wikipedia.org/wiki/Musical_works_of_Franz_Liszt 参照)。”Il Penseroso” といえば、『失楽園』などで知られるジョン・ミルトンの1645年に書かれた詩の題名でもあり( http://en.wikisource.org/wiki/Il_Penseroso )、きっとそれはリストは知っていただろうと思います。リストの曲の題名がイギリスの詩人の詩の題名と同じイタリア語で、リストの自分に付けた別名が同じ言葉の英語っていうのも偶然ではない気がします。

この曲は第1曲『婚礼』と同じく1838年から1839年にかけて作曲されたとされています。20年以上後にこの曲の規模を大きく書き換え管弦楽化したものを『夜』”La Notte”と名付け、『3つの葬送的頌歌』S.112(1860〜68)の第2曲にしました。極稀に聴かれる『夜』という曲は、そのピアノ独奏版です(S.699、1864〜68)。”La Notte”というと、ロレンツォ・デ・メディチの墓の向かいにあるジュリアーノ・デ・メディチの墓の足下に『昼』と『夜』がいることとも関係があるのでしょうか。

La tomba di Giuliano, duca di Nemours

Notte

Giorno

Takahiro Yoshikawa plays Liszt – Wagner

リスト:巡礼の年
第2年「イタリア」より
婚礼 リスト「婚礼」(巡礼の年第2年『イタリア』第1曲) 2009 年 9 月 8 日
物思いに沈む人
ペトラルカのソネット第104番
ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲
第3年より
エステ荘の糸杉にI:哀歌
エステ荘の糸杉にII:哀歌
エステ荘の噴水
ワーグナー:エレジー変イ長調 ワーグナー エレジー 変イ長調 2010 年 9 月 18 日

下はYoutubeのトレイラーです。

リスト「婚礼」(巡礼の年第2年『イタリア』第1曲)

朝起きて、眠たい目をこすりながら「ああ、じゃ、今朝はブレラにラファエッロでも見に行くか」と何となく思い付いたからぶらぶら美術館に行って来た、というような、そんなかっこいいミラノ生活を送っているわけではありません。

先日ブレラ絵画館の斜め前のバールでカフェをしていたら、「ラファエッロ修復されました」とか書いてあるのろしが掛かってあったので、「ああ、そういえば今度弾くから見に行っとくか」と思ったわけです。

Bar Brera

Bar Brera

というのも11月21日神戸の松方ホールで弾くリストの「婚礼」は、先日書いたラファエッロの「聖母の婚礼」からインスピレーションを得て書かれたのです!

弾くから見る、とか下心丸出しでなんか嫌な感じである。でもミラノにあるし、ま、見ておくか、と素直に思ったのは別に恥ずかしいことではないだろうと思う。

見てみて思ったのは、僕にとってリストがラファエッロを理解する手がかりになったのかもしれない、ということ。理解と書いたけれどまだなんにも理解はしていないから、感じ取る助け、と言ったほうが適切です。リストはラファエッロを見て「婚礼」を書き、当時の人はリストによるラファエッロの解釈を聴いたわけだけれど、いまとなってはラファエッロとリストはいわば相互関連しているのでリストを想い起こしながらラファエッロを観るというのもまたある種の楽しい鑑賞の姿勢であるように思われます。そのような姿勢を否定しない、リストの音楽の理解を経てラファエッロの絵からより深い(広い)印象を得たことを認める、ということは、その演奏はリストを通してラファエッロを表現するのではなくて、ラファエッロを経たリストの解釈ということになる。初めにR(Raffaello)→L(Liszt)ではなくL→Rであると言ったはずが、結局L→R→P(pianist)→Lとなっていることに気付き、もう、こんがらがってきてこの辺りで勘弁してください、という次第です。(「経る」と「得る」には意味に似通ったところがありますね)

ともかくリストの曲はホ長調で4分の6拍子、シド#ファ#ソ#ド#レ#ソ#ファ#シというモティーフで始まります。このモティーフはちょうど黒鍵だけを弾いたのと同じ5音音階から成り、また耳につくド#はホ長調の6の音で、ハ長調のラにあたり、少し悲しめ、だいたい5音音階とかちょっと普通じゃない感じに加えて、なんというかちょっと気持ちのこもった感じ、何となく期待、なんだか懐古的、ちょっとだけ異国風、休符にはじまり常に強拍を避けて落ち着き無く、でもゆったりしてちょっと神妙、いろいろ複雑な気分が醸し出されていて思うに少し宗教的であるかもしれず、いろいろ遠い調を通って冒頭のモチーフが荘厳な鐘の響きになった辺りで、ああ、「婚礼」か、というわけです。ラファエッロの絵の背景の遠さ、緻密さ、近景の鮮やかさ、聖堂の存在感がこの壮大な序奏に表されていると思います。
 「穏やかに(quieto)」と指示のある主調の8小節(2小節おきに掛け合いと絡み合いが交錯する)のあと、突然ト長調の息の長い歌が登場、ここには喜びと憂いが聞こえ、聖母マリア、結婚相手、聖ヨセフそれぞれの思いの単純でないことが感じられ、またラファエッロも少しそんな風に表現しているように思いました。この主題はオペラティックな(イタリアン)盛り上がりのあと主調で反復されますが、その際には冒頭の5音音階のモティーフが伴奏に聞かれます。大きなクライマックスの中で「穏やかに」と指示のあった主題も力強く再現されますが半ばで突然の休符、続きは再び冒頭の穏やかな雰囲気に戻り静かに曲は閉じられます。旋律が低音域だけに残され、高音域から降り注ぐ光を思わせる美しいパッセージが聞こえてきますが、これも冒頭のモティーフと同じです。「月の光が降り注ぐテラス」(ドビュッシーの前奏曲)に似ていますが、月の光というよりは午後の陽の光であり、ドビュッシーの繊細で巧妙な刺繍ではなくラファエッロのむしろシンプルな構図の上方の青空であるように思います。

ラファエッロ「聖母の婚礼」

Sposalizio della Vergine

ミラノを代表する美術館、ブレラ絵画館にはラファエッロの「聖母の婚礼」があります。今年修復が終わって再び公開されているとのことなので、見に行ってきました。

美術館というのは少し苦手です。一枚だけでも見応えがあるような絵がたくさん並んでいるので、疲れ果ててしまうのです。今日もラファエッロに辿り着く前に、たくさんの名前を知らない巨匠からヴェロネーゼ、カルパッチョ、テォツィアーノ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、それにモディリアーニやピカソも見てしまい、もう、ラファエッロを見たあたりでギブアップ、見たかったカラヴァッジョはちょいと眺めただけで出て来てしまいました。ボッチョーニやブラックなど近代のものもあって面白かったけれど、何度も通って少しずつじっくり見るか、見る絵を決めて他は素通りしないとなかなか難しいものがあると感じました。

ともかく、やっぱり「聖母の婚礼」はなかなかよかった。修復してすぐの絵というのはよく嘘っぽくなってしまっているような印象を受けることがあるけれど、この絵は自然光とライティングの調和した見せ方もあるのか、非常に自然で、納得の一枚とか門外漢の音楽家がラファエッロについて書くと、ただ可笑しいだけですね。

修復の様子などを取り上げたヴィデオも流れていて、そこでは1958年に狂人が中央に描かれている聖ジュゼッペの王冠を殴って傷つけたこととか、新郎の杖の先に花が咲いていて、それが聖母との結婚相手に選ばれる条件で、花が咲かなかった杖を折っている青年が描かれていることなんかは知らなかったから面白かったけれど、スタンダールがこの絵をロッシーニのオペラ「タンクレーディ」を見たときの感動に例えた文章がテロップで流れたときは、ああ、またしょうもないことを言っている、と思いました。

22歳でこういう絵を書いたというのは、ともかく感慨深い事実であるように思います。

ミラノには彼の「アテネの学堂」のデッサンというのもアンブロジアーナ美術館にあり、実物大の非常な力作で、見応えがあります。