また題名思い付きません

「友達と楽しくワイン?」と思われた方もいるかもしれない。阪神大震災のときの後悔というのかちょっとした罪の意識を告白し、音楽は生きる意味などと書いたかと思ったら、上海の楽しいコンサートの報告にワインのポストが続きました。ワインのは以前書いていて後に引き延ばしていた自動更新だったのだけれど、公開されてしまったから、今の僕とは無関係だけれどあれはあれでいいことにしました。

「死ぬこと、それは大地震でも脳卒中でも交通事故でも当人とその家族にとっては変わりがないように思える。戦争で死ぬのと通り魔にさされて死ぬのとどちらも死には変わりがない。」と15日(「題名無しです」)に書きましたが、そんな風にふと思ったのは85年の日航機事故の時でした。あの事故では親しくしていた方も若くして亡くなって非常に家族も辛かったのだけれど、誰が亡くなった、ということがテレビでも新聞でも報道されて、その合間にも交通事故でも病気でもたくさんの方が日常的に亡くなっている、ということに違和感を感じました。

世界で起きたどの大災害よりも日本の今回の地震が辛いというのは、日本人だからなのだと思う。

日本人は外国人にどう見られるか、を気にしていて、それはイタリア人に対してはかなり成功している(イタリア人から日本人はいい人達だと思われている)。イタリア人は何か大きなことを決めるときに他の国にどう思われるか、というのはほとんど気にしない。イタリア人は彼らなりに少し(かなり)独特なのだとしても、一般的に西洋人は基本的に外国を気にして内政上の問題を決めてはいないようだ。日本人は日本人間でも人の目を普通に気にするのでそういう感覚で国同士の関係も見るのかもしれない。で、日本人は根っからいい人種、みたいな意見と、日本人の「日本の恥」的な発想を目にすると、「どちらも違う」と言いたくなってしまう。日本人は他人の目を気にしていい人に見せている、と外国人には言いたくなるし、日本人には「イタリア人はたいてい日本人をいい人達だと思ってるから、安心してむしろ思ったように思いっきり振る舞ってほしい」、と言ったところで、日本人の人の目を気にするのは習慣でありほとんど遺伝、日本人であることの一要素だから、自然に振る舞ってこうなんだとも思う。悪いことであるよりはいいことであるのかもしれない。

日本人が気にする「外国人」は「西洋人」のことが圧倒的に多い。コンプレックスがあるのも事実だと思う。

西洋人の言う「いい人」にはかなり「お人好し」的ニュアンスがある。

津波の翌年にモルディブに遊びに行った友人がいて、あんなにたくさんの人が亡くなったところにヴァカンスに行く、ということに違和感を感じたのだけれど、今回の地震の後、経済復帰のために東北に旅行に行ってお金を落とすのがよい、という話を聞き、そうだったのか、と思った。

残された人達、そこで生きて行く人達が今から大変なんだ。

とっても元気な日本人に、「(災害に遭わなかった人は)いつもと変わらないことをやり続けるだけですからね!」と言われた。

コチラカラ以下のプログラムが視聴できます。

ショパン
3つのワルツ Op.64(変ニ長調「子犬のワルツ」、嬰ハ短調、変イ長調)
幻想ポロネーズ Op.61

Frederic Chopin
- Waltz n.6 in D-flat major op.64-1
- Waltz n.7 in C-sharp minor op.64-2
- Waltz n.8 in A-flat major op.64-3
- Polonaise-Fantasie in A-flat major op.61

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