無題

質と量というのは2つの異なる価値ではあるけれど、同じものの量が変わると質も変化することがある。「ピアノの勉強」も、ある一定の量を超えると演奏そのものの質が変わってくると思われる。こう書くと当然のことのようでもあるけれど、僕の言いたかったことは、ただ単に音を間違わなくなるとか、テンポが上がるとか、曲が手に入るとか、あるいは演奏が整理される、または「熟す」というような話ではない。

芸術の中にはいろいろな種類があって、一概に「芸術家」といってもそこには質の違いがある。例えばメイクアップアーティストも、アーティストという以上芸術家であって、でも彼/彼女は彫刻家とは質というか意味の違う芸術をする人である。ピアニストは作曲家のように創造的な仕事はしない。いわば俳優のように、媒体に過ぎないのであろう。けれど、そのような芸術家としての「質」を超える名演がある。「質を超える」と言った時、おそらく語彙の乏しいためにただの言葉遊びに陥っているような気がしたので、段落を変えて仕切り直す。

天才というものを僕はあまり信じない(信じたくない)。極端な例を挙げるとモーツァルトは、それはもう、大天才の極致のような人だけれど、考えてみれば彼のような教育を受け、経験を積んだ人も稀なので、素質の問題だけではなくて、スピードの問題、簡単に言えば「要領の良さ」が関係しているかもしれない。「天才は我々と一歩を隔てたものであるが、その一歩は千里である」とか芥川(彼こそ天才だけれど)が書いていたけれど、それもいわば花粉症がコップの水がこぼれるように発症するのと少し似ているとか書くと、その読みの深さに呆れられてしまうかな。

もちろん僕は自分も天才に到達できると言いたいのではないけれど、きっと不可能ではないとか、もしかしたら、ひょっとしたら、あわよくば、ナドナド何でもいいけれど可能性をゼロにはしたくない。とか、まあ典型的な「問うに落ちず語るに落ちる」タイプの僕には「語らざれば愁い無きに似たり」とかぼやいて煙草に火を点けるぐらいがちょうどいい。

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