Siamo LidicoRi

日本人は少しリディーコリ ridicoli(可笑しい)であると言われる。

けれども僕は四五分の後、電話に向はなければならなかつた。電話は何度返事をしても、唯何か曖昧な言葉を繰り返して伝へるばかりだつた。が、それは兎も角もモオルと聞えたのに違ひなかつた。僕はとうとう電話を離れ、もう一度部屋の中を歩き出した。しかしモオルと云ふ言葉だけは妙に気になつてならなかつた。

「モオル――Mole……」

モオルはもぐらもちと云ふ英語だつた。この聯想も僕には愉快ではなかつた。が、僕は二三秒の後、Mole を la mortに綴り直した。ラ・モオルは、――死と云ふ仏蘭西語は忽ち僕を不安にした。(「歯車」芥川龍之介)

芥川は批判の余地のない天才である。最後の作品の一つ『歯車』は繊細で鋭敏な感受性の研ぎ澄まされ過ぎて狂気に至る過程が克明に記された傑作であり、小生も何度も何度も読みました。が・・・・・。

上に引用した mole と la mort の聞き違えの話は、天才芥川でも日本語の中で明確な区別のない 「R」と「L」を聞き分けられなかったことを示している。

ちょうど、

Come stai? Morto bene!

ご機嫌いかが? 良く死にました!(「Molto bene!(元気です)」と言いたかったのである・・・)

というような馬鹿な会話をしてしまうイタリア語がぺらぺらな日本人のように。

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