2つのノクターン

 そもそも演奏についての感想そのものにあまり興味がなく、さらに言えば、聴き比べる、というのは余りにも安易な行為であるようにも感じており、ではなぜここで同じ曲の2つの演奏を紹介するのかというのはまた一つの問いとしてありえるものだとしても、たくさんの演奏を聴き比べてこれが好きだとか、この演奏のここがいいとか、そういうのは演奏をする立場の人間の取る態度としては褒められたものではない、という思いもあり、というのも、聴き手の持っている、初めて聞くのであれば、持つ、ある曲についての考えとでもいったものをその演奏は満たしているかどうか、という聴き方には疑問があり、それは作曲家であればあり得る態度でもあるだろうが、聴き手においては、また、本来は作曲家においても、ある曲についての考えというのは、たとえ自分が作曲した曲であっても、その曲を聴くたびに新たにされる、或は新たにされるべきものであるだろうし、演奏家にとっても、演奏中にその演奏を聴いてもいるのだとしたら、演奏直後からは、過去の自分の演奏はまるで他人の演奏のように感じられ、もはやどうしてあの時あんな風に演奏したかも自明ではないだろう。この辺りについては、巧く説明出来ないし、説明出来ないのではなくてむしろしたくないという事情も働いているのかもしれず、ともかく、この2つの演奏についても、今後の自分の演奏についても、また当然他人の演奏についても、特に感想を述べるつもりはないと言っておきたい。
 ある人が美味しいと思うものを別の人も美味しいと思うとは限らないのと同じように、どんなに自分にとって「いい」演奏をする努力を重ねても、目指していた「いい」演奏そのものを他の人が「いい」と感じてくれるかはわからない、という種類の話とはまた別に、演奏について言えば、どのような演奏をするかについて演奏をする前に考えることと、実際に演奏をすることの間には大きな隔たりがあり、そしてその隔たりはあるべきものであるとも言えるだろう。というのは、こうしよう、と事前に思ったことをする、というのが演奏なのであれば、こうしよう、と思った時にある曲の全体についての完全なヴィジョンを持ち得るか、という疑問があり、この点については以前モーツァルトの手紙を基に書き始めたがいつものように勿論途中で挫折した(「ちょうど美しい一幅の絵或は麗しい人でも見る様に心のうちで一目でそれを見渡します。後になれば、むろん次々に順を追って現れるものですが、想像の中ではそういう具合には現れず、まるですべてのものが皆一緒になって聞こえるのです。」曲全体をまるで一目で見渡すかように聴くこと、または音楽と絵)。同時に、こうしよう、といった風に音楽を、音楽だけではなく恐らく全ての芸術を、何らかの確固とした意図として捉えるのは、ほとんど不可能なように思われる。それは、「捉える」ことが出来たと思った瞬間に人は言葉で説明をしてしまう、しかしある芸術を言葉に置き換えること、言葉で作られた芸術であっても他の言葉に置き換えることは不可能でしかないということでもあるし、また、ある印象を捉えたのであればその捉えたものをその捉え方において表現する(というのが何を意味しているかは自分でも分らなくなって来たが)のが自然であるとすれば、音楽について捉えたことを表現する方法により適しているのはむしろ音楽ではないだろうと端的に言い切ることは出来ないとしても、また、演奏するにあたってはある印象を掘り下げる作業をせざるを得ず、そしてその作業そのものが創造への道でもあるとしても、聴き手として演奏についての感想を持つということについて言えば、紆余曲折を経たものの結論が余りに意外にシンプルで少し申し訳ないが、曖昧なままの形であまり説明しようとせずに自分の中にとどめておくのが誠実である。それはコンクールの審査員のようなお話しはお断りする理由でもあるし、そもそも競技ではないのだからコンクールのようなものはすこし可笑しいと言っていいだろうか。可笑しいという表現もまた可笑しいが、ではなぜ私自身がコンクール受賞歴のようなものもプロフィールに載せているか、というのもまたありえる問いであるとして、吉川隆弘が演奏をする、歴史的な大ピアニストが演奏をする、ピアノを勉強して間もない子供が演奏をする、それぞれの間にあるある種の高さ/低さ、或は、浅さ/深さ、の差異と関係なく、全ての演奏は、ある曲の再現であると同時に創造である。その時にそこで演奏されることでその曲が存在しうるというだけではなく、演奏そのものもまた、表現ではなくて創造としての価値を持っている。この辺りまで多大な労力を払って読み進めた時にむしろ自然に湧き出てくるであろう、なぜこのようなほぼ無意味に近い内容を余りにも仰々しい調子で書いているのか、という疑問については、それが自らの演奏を自分のブログで紹介するという行為そのものをすこし恥じており、茶化したい、或は照れ隠し、ということであるように察していただけるかどうか、ただ、そう察してもらうには余りにも偉そうな口調ではあるかもしれない。
 音楽を聴く、というのはもちろん大変な集中力を必要とする行為で、お腹が一杯だと美味しいものも美味しく感じられないように、余り聴きすぎてもいけないし、また、ちょこちょこつまみ食いをするように、断片をかじり聞きしてばかりいても良い影響はないと思われ、いろいろ考えると、Youtubeというものにはネガティブな面が多すぎて、付き合いすぎるのはお勧め出来ません。回数はほどほどに、少なくともある種の覚悟を持って「聴く」、見るばっかりでなく、よーく聴かないとどんな演奏かはわからないと思います。

 どうも最近はこのブログでは告知ばかりで、下心があり読んでくれる方に媚びているためか「です/ます」と丁寧な口調で書くことが多く、今日は「である」で書こうと思ったのだが、最後には「です/ます」になってしまいました。では以下告知です(笑)。対談でもないのに一人で(笑)と書くのは最後にしたいです(笑)。

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5月30日目黒パーシモンホール小ホールでリサイタルをします。

日時:2014年5月30日(金)18:30開場 19:00開演
全指定席 S席4,000円 A席3,000円

—チケット取扱い—
チケットぴあ Pコード 221-661
Ampio東京支部(吉川隆弘後援会)
TEL. 03-6421-8131
E-mail. ampio-tokyo@takahiroyoshikawa.com
めぐろパーシモンホールチケットセンター窓口
(販売時間 10:00~19:00)TEL. 03-5701-2904

—プログラム—
ベートーヴェン
 ピアノソナタ 第26番 変ホ長調 Op.81a『告別』
 ピアノソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
ラヴェル
 『鏡』蛾 – 悲しき鳥たち – 大海の小舟 – 道化師の朝の歌 – 鐘の谷
ショパン
 ノクターン第14番 嬰ヘ短調 Op.48-2
 スケルツォ第3番 嬰ハ短調 Op.39

★関西では6月4日に西宮市プレラホールで同じプログラムのリサイタルをします。近日発売開始予定です。

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