モンポウ「風景」

フェデリーコ・モンポウの生涯についてはあまり知られていないかと思います。Wikipedia日本語版には、モンポウの父親は鐘作り職人だったとありますが、弁護士だったとも読んだことがあり、よく分かりません。「風景」にも鐘にまつわる曲があり、お父さんが鐘職人だったらとってもロマンティックでいいなーとは思います。
同じくWikipedia日本語版には、「フランコ体制の支持者であったためにサン・ホルヘ王立音楽院の教員に就くことができた。」とありますが、スペイン語版には「Fue miembro de la Real Academia Catalana de Bellas Artes de San Jorge y Premio Nacional de Música de España.」とあり、英語版には「An initial supporter of Franco’s regime, in Barcelona he became a member of the Royal Academy of San Jorge, 」とあります。王立音楽院ではなく、アカデミー会員、ということのようですね。初期のフランコ政権の支持者であった、というのは、初期以降は支持者ではなかったのか。コルトーの例もありますし、音楽もまた政治といろいろな形で関わっています。

Wikipediaに疑問を持ちつつ、以下引用します。

1941年にナチス軍によるパリ占領を避けてバルセロナに帰郷。同年、国際コンクールの会場でピアニストのカルメン・ブラーボと知り合う。長年にわたって友情を培った末の1957年に二人は結婚した[1]。この頃から創作活動の第2期に入った。

3曲から成る「風景」はカルメン・ブラーボに捧げられました。1曲目が1941年、ちょうど彼女と知り合った時期に書かれ、2曲目は1947年、3曲目は結婚した1957年に書かれています。
カルメン・ブラーボの演奏で1曲目の「泉と鐘」を聴いてみましょう。

この曲は、モンポウがパリからバルセロナに戻って住んだゴシック地区にあるささやかな噴水と、この地区にあるサンタ・エウラリア大聖堂の鐘の音からインスピレーションを得て書かれたとも言われていますが、定かではありません。水の湧き出る自然の泉ではないようですね。水や鐘の描写ではなく、心象風景とでもいった感じ。

2曲目の「湖」は、ムンジュイックの辺りの湖と関連があるとどこかで読んだ気がしますが、バルセロナの市内なので、池や、公園にある水の張ってある物のようなことになるのでしょうか。大きな湖ではないということでしょうか。モンポウはムンジュイックにある墓地に葬られました。

3曲目は「ガリシアの荷車」。ガリシアというのはポルトガルの北にある州で、内陸部は貧しく、牛の引く荷車はこの地方の象徴のひとつということです。モンポウは、ガリシア州の州都、サンティアゴ・デ・コンポステーラに何度も滞在し、この州をよく知っていました。
この地方はケルト人が住んでいて、ガリシアの語源にはガッリアがあり、ガッリというのは鶏のことです。ポルトガルも鶏の港ということですね。なんで鶏なのか、ローマ人に聞いてみたいですね。

ガッリアというと、先日ぼーっと「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」の図を眺めていまして、この下のものですが、

このAREPOの意味がラテン語としてははっきりしないそうで、可能性のひとつとして、ガッリア地方にかつてAREPOと呼ばれた荷車があったという話があったような。そこで、ガッリア、荷車、ガリシア、モンポウ、と連想してみました。

話が思いっ切り飛んでしまいました。以上です。

以下の公演でこの「風景」を演奏します。

11月28日(水) 19:00開演
ピアノリサイタル 東京 銀座王子ホール

12月02日(日) 14:00開演
ピアノリサイタル 大阪 梅田 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール

詳細はCONCERTページをご覧ください。

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