無題

このところミラノはますます涼しくなってきており、日が暮れるのもどんどん早くなってきて、秋であることを実感させられます。

「住めば都」という言葉は、どうも「都」に重みがあって少し違うのですが、住んでしまうとどこも同じであるようには感じます。それは僕の生活が、ピアノの練習をする以外は、ほとんど動物と変わらず、食べて寝る、その他雑事に追われているだけだからかもしれません。

今日はお昼にスパゲッティーニ、舌平目のラグー和えをつくりました。ラグーというのはミートソースのことです。先日ある友人の「今年の夏、サルデーニャ島でヨットを借りたときに船上で食べたハタ cernia のラグーのパスタが最高だった」という少しカチンと来る発言にヒントを得て作りました。魚の身を刻んでミニトマトを半分に切ったものとバジリコを炒めただけで充分おいしかったけれど、ニンニクとか白ワインとか入れてもいいのかもしれない。パスタはリングイーネとかトレネッテとかがあればよかったのかもしれないけれど時間がなかったのでスパゲッティーニで済ませました。これにサルデーニャの白ワイン、ヴェルメンティーノ vermentino を合わせるとうちにいながらヨットに乗った気分を味わえるという一品でした。(ここでその料理の写真が一枚欲しいところですが撮らなかったのでありません)

そういえば、かつて僕の悪友は「お前の頭上でも今はまだ太陽が回っているけど、子供が生まれたらいつの間にかお前の生活は子供中心、太陽ではなく子供が全生活の上を回るようになる」というようなことを言ってせせら笑っていた(せせら笑いつつそうしょっちゅうは一緒に飲み歩けなくなるだろうことを知っていて少し寂しかったのだろうとも思う)。そういう一面もなきにしもあらずであることは否めないと今は思う。

フロムミラン、ミラノから、といっても特に、もう、書くことはないんです。

例えば、この間のスカラ座のオルフェオは、というようなのは音楽関係の人には興味も持たれるかもしれませんが、観に行っていないので書けません。

自分が卵を産むときに卵を食べているわけにはいかない、というような言葉はどうせ昔の文豪か誰かの言葉のかじり読みだと思うけれど一理なくもないだろう。

書くことがないということを書くくらいなら書かないほうがまし、という意見もあると思いますが、じゃ、今、ベートーヴェンを演奏するのは新しい何か言いたいことがあってのことか、と言うと全然そうではないかもしれないし、そうでなくても書かれてあることを演奏することは出来てしまうところが再現芸術の浅はかさというか、奥深さですね。

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