カルタニッセッタその7

20071215

その後僕が何をしたか。

例えばコンサート直前にギャラを20%少なくしか払えないといわれて何を思い、どう反応したか。コンサートにどのように臨み、出来はどうであったのか。コンサート後のディナーが如何に贅沢なものであったのか。などはもう書く時間がなくなった。

そろそろ飛行機に乗る時間なのだ。

今日、カターニア空港に着いてみると、僕の飛行機はすでに2時間前に飛び立ってしまっていた。チェックインカウンターの女性は「この便の出発時刻は2ヶ月前に変更されました。」と説明した。恐らく僕が日本にいた時期だったので電話がつながらなかったのであろう。結局4時間後の飛行機に乗せられることになり、真新しい空港のバールで例のどろっとしたエスプレッソを飲みながら、時間つぶしにこんな文章を書いてみただけのことである。

カルタニセッタ その6

朝食を食べに下に降りる。

カプチーノを注文したが、「エスプレッソマシーンが壊れていて出来ません。ここにあるセルフサーヴィスのコーヒーマシーンでエスプレッソでもカプチーノでもご自由にお飲みください。」と言われた。冷たいクロワッサンとまずそうなヨーグルトを取ってテーブルについた。

なにやら訛りの強いイタリア語を話す男性(南米系か?)が片言のイタリア語を話す東洋人女性(韓国人か?)と話していた。「Buongiorno…」と言ってみたが寝起きの第一声は少ししわがれていて彼らには聞こえなかったらしい。彼らの話を聞いていない振りをしながらゆっくりネスカフェインスタントエ スプレッソコーヒーを飲む。おいしくはないけれどまずくもない。ヨーグルトもまずくはない。

男性が「チミは何を歌ったのかね?」と尋ねる。東洋人女性は「ほにゃらほにゃらを歌いました。どう思われましたか?」と答えている。

そういえばこの町では毎年ベッリーニ国際コンクールというのが開催されていて、Z氏が僕のコンサートの次の日がファイナルだと言っていた。ということはこのなまっているのが審査員で東洋人女性は参加者の一人であろう。ああ、いやな場面に出くわした、と思った。

この訛り審査員の質問は極素朴なもので、審査員というものはたくさん聞くから何を聞いたか覚えていない、ということを示している。それに対する彼女の返事も無垢なもので、何を歌ったかという質問に素直に答えて、どう思ったかを知りたいから質問してみただけのことである。この女性の勇敢なところは何を歌ったかもおぼえていない人に感想を求めたところにあり、もし僕が彼の立場だったら冷や汗ものである。はるばる遠方から自分の歌を試しに来た人の審査をしておいて「実はボクはあなたが何を歌ったか、あなたの歌をどう思ったか、じぇんじぇん覚えておりましぇん」と訛り訛り告白しなければならない。

この訛り審査員は流石にそんなにおろかではない。

「うーむ。チミはハチュ音に少し問題があったな。」

彼女には発音も何もない。片言なのだ。発音に問題があるのは訛り審査員のほうなのだ。東洋人女性はそんなことには何も気付かず、あるいはおそらく気付かない振りをして、お話をありがたく頂戴していた。

そこにイタリア人のご夫人が登場し、「Buongiorno, maestro!」と訛り審査員に声を掛けた。彼は立ち上がって握手をし、親しげに話し始めた。恐らく審査員の一人であろう。いい加減嫌気が差したので出て行こうと立ち上がった。そのときご婦人は僕の顔をまじまじと見つめたので、例の如く「Buongiorno」と言ってみたが、やはり返事はなかった。僕の背後で彼女は「彼も参加者かしら?」と尋ね、訛り審査員は「いやいや、キャレは日本の銀行のジェネラルディレクターでしゅよ。」と答えていた。

というのは、今日も朝からピオンボスーツなのだ。午前中ピアノを試弾しに行くからで、9時半に30分遅れで劇場入りした。遅刻したけれど、劇場にはまだ誰もいない。ピアノは非常に調律が狂っており、一本弦も切れている。

1時間ほど弾いてみたけれど誰も来ない。守衛さんに調律師は何時に来るか聞いてみた。予想通り何も知らないという。こういうときに焦りは禁物である。怒ってZ氏に電話を掛けたりしてはいけない。調律師は来ると聞いているから来るはずだ。来れば弦くらい張るだろうし、調律だってするだろう。問題はない。もう少しだけ弾いてホテルに帰った。

カルタニセッタ その5

トラットリアでの食事はまずまずといったところ。この町の特徴なのか何なのか、油が多く、生クリームもそこかしこに使われていて重い。量は南イタリアらしくたっぷり。味は好みではあるが、重くてたっぷりしているというのは上品とは言い難い。ワインも大味、葡萄の味よりも樽の味のするシチリアのシャ ルドネ。

食事中に睡魔に襲われた。日本から帰ってきたのは2日前、まだ少々時差ぼけ気味である。寝ぼけながら大量のパスタや魚を口に詰め込み、彼らの昔話を聞いている振りもしながら、今回の日本滞在について思い巡らす。

日本には11月16日から12月11日までの滞在だった。その前、10月28日から12月6日も日本にいた。10月18日から11月14日までスカラ座 で9回モーツァルトのピアノコンチェルトを弾いた。その合間にブレーシアと西宮でリサイタル。その後は11月19日にクラリネットの中村克己氏とデュオコ ンサート、27日は神戸のリサイタル、12月2日東京リサイタル、9日はオペラコンサート。明日のカルタニセッタも入れると2ヶ月間で16回のコンサート に出演したことになる。この秋は少しまじめに働いたのである。

僕としてはなかなかたくさんの本番をこなしたのだけれど、考えてみると、少しこの料理と似ていたようだ。仕事である以上こなせるのは当たり前である。たくさんの曲を演奏した。一回一回本気である。けれど、一つ一つの演奏が最上であったかどうか。仕上がりはしていたかもしれないけれど、充分掘り下げれてはいなかったのではないか。字句の意味よりも話の面白さ、石の質よりも形の仕上がり。量の多さや味付けの濃さに傾いていたようにも思われ、そんな反省をしながらの夕食はますますまずく感じられた。

11時にホテルに戻った。フロントで鍵を受け取るときに灰皿を頼んだ。

「法律でお部屋での喫煙は禁じられています。」

そう言ってから僕の顔を少しうかがう。少し残念そうにしてみた。

「でも、窓を開けて吸う分には問題ないでしょう。禁じられているので灰皿はございませんが…」

チンプンカンプンも甚だしいのである。僕の知る限り、法律で禁じられているのは公共の閉じられた空間での喫煙である。ホテルの部屋は公共の場ではないは ずで、これまでにも特に問題なく吸えるホテルが大半であった。禁煙のホテルは、ホテルの方針として禁煙なのだと思っていた。窓を開けて吸うのを勧めるというのも合点がいかない。しかも吸っていいけれど灰皿はありません、ということは窓から捨てるしかないわけだ。

ともかく言われた通り夕食前と同じように窓を開けて一服し、灰も吸殻も窓から捨てた。そしてすぐ寝た。次の日の朝8時まで死んだように(高いびきをかいていたかも知れないが)眠った。

カルタニセッタ その4

7時5分前にホテルの前に出る。7時ちょうどに自慢のジャガーでX氏登場。僕を車に乗せたものの、運転しながらなにやら電話で怒っている。「まったくあ いつは勝手なやつで自分の利益しか考えていない」「私たちシチリアの人間はもともと利害で動く人種ではなく、利己心という言葉は存在しなかった」などな ど。僕は聞いていない振りをしている。イタリア人は、法律では禁止されているものの携帯片手に運転する光景はよく見受けるが、こんな街の中心でろくに信号 を守らない歩行者をよけながら、電話での会話にも熱は入り、会話の内容もさることながら、運転のほうが心配である。ようやく電話を切り、車を止めて僕を抱 擁した。「よく帰ってきた。また会えると信じていた。Zに会いに行こう。」
Z氏の事務所についた。Z氏もまたX氏と同じく弁護士である。彼らは子供のときからの友人で、親しげに話をする。彼らが話しこんでいる間、僕はミラノか ら何本かの電話を受けたほかは話を聞いている振りをしていた。夕食はZ氏とその奥さん、X氏と僕の4人で、僕の泊まっているホテルのそばのトラットリアで することになり、8時半に会うことにして、X氏と僕は事務所から出た。「タカヒロ、家族も会いたがっているから、アペリティーヴォをしに家に行こう!」

X氏は町の少し外れの高台のマンションに住んでいる。非常に広い自宅の同じ階に同じくらい広い事務所を構え、そこではやはり弁護士の息子さんと娘さん、 その他5人の弁護士が働いている。娘さん、息子さん、奥さん、孫達との挨拶の後、彼は僕を客間に案内し、2人並んでソファーに腰掛けた。再会の喜びのひと 時は過ぎ、8時半の夕食までまだ1時間近くある。静かな部屋のソファーにこうして2人で並んでみると、お互い特に話すことも無いのに気が付いた。彼はシチ リアの小都市の有力な弁護士、僕は日本から来たしがないピアニスト、逆立ちしても会話の盛り上がりそうな話題は見つかりそうにも無い。
あまり長い沈黙は苦痛なので、壁にかかっている鏡の額を褒めてみた。「よくぞ見抜いた。その額は17世紀のものだ。」ついでにもう一つの額も褒めてみ た。「これはナポレオン時代のものですね。」「・・・うーむ。気に入っておる。」ナポレオンとは僕も適当なことを言ったものだけれど、彼も様式については よく知らないらしい。やわらかい白の壁と赤みのかかった木の家具に、金色の額縁のアクセントを効かせたこの客間はシチリアのお金持ちの家にしてはかなり洗 練されているのではないだろうか。もちろんミラノやブレーシアの貴族の家とは趣を異にするが(貴族の家にはもっと歴史の重みとでもいったものがあり、ま た、新しいスタイルを取り入れたとしても、もっと趣味が行き届いているものだ。)、ブルジョワとしてはなかなかであるなと思った。と同時にずいぶんえらそ うな感想を思いつくものだと自嘲したりもしてみた。