カルタニセッタ その3

暗くて細い小道に入る。すれ違った老人が向こうから挨拶してきた。僕も挨拶を返す。
この道はいつか来た道。ああ、そうだ。この辺に3月に来たときに立ち寄ったお菓子屋さんがある筈だ。
お菓子屋さんは簡単に見つかった。レジにいるお姉さんと、店の隅に座っているお婆さん、そのお婆さんと話しているおばさん。3月と何も変わらない。お婆さんが僕のことを覚えていて、「お帰りなさい」と言ってくれた。このお婆さん(70歳くらいか)はいつもこの店にいるようだけれど仕事はしていないようだ。それどころか狭い店の中で彼女の話し相手をするおばさん(50過ぎか)を従えている。このお婆さんの息子さんがお菓子職人、話し相手をするおばさんはその姉、3人の中で唯一仕事をしているお姉さん(40は過ぎている)はその妻、といったところか。でもこのお婆さん、半年以上前に一度だけ来た客のことを 覚えていて「お帰りなさい」とは実はなかなかいい仕事をする。
シチリアのお菓子はイタリアでは有名である。カッサータ、カンノーロなど、新鮮なリコッタチーズを使ったものがおいしいとされるが、少し甘すぎるような気もする。あまりおいしいものではないようにも思うけれど見た目の美しさで有名な、色とりどりの果物や野菜をかたどったマルツァパーネ(日本でマジパンと言われているものかもしれない)などアーモンドのペーストを使ったお菓子もある。少し小腹が空いたので小さなカッサータとカタツムリの形をしたマルツァパーネを食べた。やっぱりかなり甘いけれど疲れていたからか非常においしかった。

甘いものを食べた後はエスプレッソが飲みたくなるのが人情というものであろう。ちょうどいい小汚いバールの前を通りかかったので入ってみた。シチリアのカフェはなぜか少しどろっとしている。酸味は少なく、苦味が少し強め、コクがあるようなないような、その辺は何しろどろっとしているのでよく 分からない。味も舌の「表面」で感じるもの。どろどろとした食感は味そのものを感じることを僕には少し難しくさせるが、おいしければそれでいいのだ。(本当においしいのかどうかに少し疑問を感じてもいるのだけれど、深くは考えない。)
部屋に戻りシャワーをして夕食に備える。ここはイタリア、表面を取り繕わなければならない。一番新しいピオンボPiomboのスーツに身を包み、X氏の 到着を待ちながらちょっと一服をしようと窓を開けた。灰皿の無いことに火をつけてから気付き、仕方が無いから灰も吸殻も窓から捨てた。

カルタニセッタ その2

特に見るものも無く、あったとしても知らず、ただ、ホテルの周辺をぶらぶら歩くのである。

クリスマス近く、町は多くの人で賑わっている。ミラノよりも平均身長が低いのだろうか、自分だけ周囲から飛び出ているように感じる。そのせいか、あるいは鼻毛でも出ていたのか、立ち止まり、あるいは振り返り僕のことを凝視する人がいる。そもそもイタリアでは人のことをじろじろ見るということがあまり失礼にはあたらないらしい。あまり近くで目が合うと、僕は挨拶をしてみる。「Buona sera」彼らの表情は一変し、挨拶を返してくる。東洋人が珍しく、しかも彼らより背が高く、多分鼻毛なんかも出ている僕のことを、彼ら田舎の人たちは半ば興味本位、半ば警戒心で見るのであるから、挨拶は有効なのだ。

人口約6万人、観光名所も無く、特に美しくも豊かでもないこの地方の小都市も、建物は古い石造りで、町並みにはなにやら味わいがある。看板やネオンも少 しは町との調和が考えてある。いや、おそらく何も考えなくても日本の大都市のようにトンチンカンなことにはならないのだろう。このような町並みの中で生ま れ育つことで、ある種の美的感覚が備わらずにはおられない。生まれ、育ち、生活の中に染み込んでいる感覚、これは強い。特に高尚な考えがあるわけではな い。中身は無いかもしれない。考えてみると、美しい物の「中身」、「本質」という考え方は妄想に過ぎない、とも言い得るのではないか・・。

ミケランジェロについて考えてみる。

80歳を過ぎても人を心底信用することが出来ず、人嫌い、故に人にも嫌われた。人を信用できないから自分で大理石を採りに行き、老体に鞭打って自分で山 を引っ張って下り、体を壊した。彼のピエタが人の心を打つのは、彼の神への愛でも人への愛でもなく、その作品の力所以である。その美は彫刻の表面にのみあ る。当たり前のことだ。

ヴェルディがスコアの中にはPPP(ものすごく小さな音で)と書き込んだのに、実際にその箇所を指揮したときにはオーケストラにf(大きな音で)を要求 し、そのときオケの中でチェロを弾いていたトスカニーニがその劇場的感覚にいたく感動したという話が伝えられている。歌手とオケとのバランス、劇場の音 響、お客さんへの分かり易さ。劇場的感覚とは実践的なテクニックである。浅い。寄席である。客に受けたいのだ。そこに美を追求し、トスカニーニのあの厳しいベートーヴェンが生まれる。

意味なんて存在しない。生きている理由を問うのはナンセンスである。「美」は難しいものではない。世界は劇場だ。楽しむことだ。(僕はまだ酔っ払ってはいない。)

渋江抽斎は、字句の意味を広く深く極めることが学業の始まりであると言っていたらしく、鴎外は、それは始まりであると同時に一生かかるかもしれない大仕 事でもあるな、というようなことを書いていたように記憶しているけれど、なんとも言えずイタリアンな感覚である。文学者或いは文章家が言葉の語源を深く調 べることは、彫刻家が自分で石を採りに行くのに似てはいないだろうか。

芸術家は出来るだけ多くの人を楽しませようとする。多くの人に楽しんでもらうには分かり易い必要がある。その反面、たくさん勉強してしまった芸術家自身も納得するものを作りたい。そこに語源への、石そのものへのこだわりがある。
楽しくてやさしくて悲しくて気高い小説を書きたいと言ったのは太宰だったと思うが、それは本当に難しいことだ。楽しいと悲しいとは生活の全幅であり、優しいと気高いは、理想と思想の世界に属するものであろうか。

とりとめのないことを考えながら歩き続ける。(つづく)

カルタニセッタ その1

午後3時、約1時間遅れでカターニア Catania の空港に降りた。

2人の若者が “MAESTRO TAKAHIRO YOSHIKAWA” と書かれた大きな紙を持って待っていてくれた。カルタニセッタ Caltanissetta まで小1時間かかるので、もしお腹が空いていたら空港のバールで何か召し上がりますか、と聞かれたけれど、ミラノを発つ前にリナーテ空港でパニーノを食べ たので「カフェだけ」と答えると、1人はレジに走り、もう1人は僕を無言でカウンターに導いた。シチリアのもてなしはいつも少しハードボイルドである。

今年3月に来た時にはまだ建設中だった新空港。ガラス張りのデザイン空港よりも以前の古ぼけた空港のほうが僕の性には合っていた。

空港からカルタニセッタまで、若者はイタリアを代表する大衆車FIATのPUNTOを130キロで飛ばす。

発車してすぐ、運転している若者はコンサートの主催者Z氏に携帯から電話をし、僕に代わった。「マエストロ!このたびははるばる遠方からお越しいただき 誠にありがとうございます。云々・・・」大きな声での前口上が非常に長く、僕はほとんど聞いていない。最後に「7時半にホテルにお迎えにあがります。ぜひ 夕食をご一緒に。」と言っていた。

カルタニセッタの町の中心にある3つ星ホテル に到着した。

前回来た時は少し郊外にあるが、町で一番設備が整っているという4つ星ホテルに泊まった。今回のホテルはそれに比べると少し落ちる。暑すぎる部屋の温度 はセントラル・ヒーティングなので調節できない。冷蔵庫にはガス入りとガスなしの小さなペットボトルが1本ずつ入っているだけで、節約のためかコンセント は抜いてあった。シーツやタオルの類は清潔なのだろうけれど、かすかに下水の臭いのするシャワーのタオルは端が少し破れており、ベッド・カヴァーにはなに やら染みらしきものがある。友人達からはディプロマティックであるとからかわれるけれど、こういう場合、僕はまず文句は言わない。ここでクレームをつけて も気まずくなるだけで何も解決しないのを知っているからである。たとえ解決したとしても、申し分のないホテルなら上手く弾けるかというとそれは分からな い。もう少しましなホテルの方が良く眠れるかどうかも確かではない。このホテルは劇場から徒歩2分、立地は申し分ないのだ。

前回のホテルは郊外にあったので、街の中心に行く時には前回のコンサートを主催したこの町の有力な弁護士X氏が自慢のジャガーで往復してくれた。コンサートの次の日には彼の自宅で娘さんや孫達とのお昼に招いてくれ、家族の人たちとも親しくなった。

ホテルの部屋についてすぐ、早速X氏に電話をしてみた。

「タカヒロ! Ben tornato! 7時に迎えにいくから夕食でもどうだ?」

彼も声は大きいが単刀直入、話は短い。僕がZ氏が7時半に迎えに来ることになっていると言うと、

「心配するな。Zには私から言って置く。」電話を切られてしまった。

話を付けて置くということなので彼に従うことにした。それまで2時間以上ある。少し散歩をすることにした。(つづく)