ラファエッロ「聖母の婚礼」

Sposalizio della Vergine

ミラノを代表する美術館、ブレラ絵画館にはラファエッロの「聖母の婚礼」があります。今年修復が終わって再び公開されているとのことなので、見に行ってきました。

美術館というのは少し苦手です。一枚だけでも見応えがあるような絵がたくさん並んでいるので、疲れ果ててしまうのです。今日もラファエッロに辿り着く前に、たくさんの名前を知らない巨匠からヴェロネーゼ、カルパッチョ、テォツィアーノ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、それにモディリアーニやピカソも見てしまい、もう、ラファエッロを見たあたりでギブアップ、見たかったカラヴァッジョはちょいと眺めただけで出て来てしまいました。ボッチョーニやブラックなど近代のものもあって面白かったけれど、何度も通って少しずつじっくり見るか、見る絵を決めて他は素通りしないとなかなか難しいものがあると感じました。

ともかく、やっぱり「聖母の婚礼」はなかなかよかった。修復してすぐの絵というのはよく嘘っぽくなってしまっているような印象を受けることがあるけれど、この絵は自然光とライティングの調和した見せ方もあるのか、非常に自然で、納得の一枚とか門外漢の音楽家がラファエッロについて書くと、ただ可笑しいだけですね。

修復の様子などを取り上げたヴィデオも流れていて、そこでは1958年に狂人が中央に描かれている聖ジュゼッペの王冠を殴って傷つけたこととか、新郎の杖の先に花が咲いていて、それが聖母との結婚相手に選ばれる条件で、花が咲かなかった杖を折っている青年が描かれていることなんかは知らなかったから面白かったけれど、スタンダールがこの絵をロッシーニのオペラ「タンクレーディ」を見たときの感動に例えた文章がテロップで流れたときは、ああ、またしょうもないことを言っている、と思いました。

22歳でこういう絵を書いたというのは、ともかく感慨深い事実であるように思います。

ミラノには彼の「アテネの学堂」のデッサンというのもアンブロジアーナ美術館にあり、実物大の非常な力作で、見応えがあります。

ピアノの弾き方など 3

数日前にある立ち飲み屋さんで最近の演劇などが話題になり、友人が「この間のホニャララの演出は表面的でくだらなかった」と言ったとき、すぐ横に立っていたヒゲモジャでキッタナイ服を着たお兄さんが「芸術に表面的じゃないことってあるのか?」との問いを発し、それを聞いた僕が思わずもう一杯注文してしまったのは蛇足ですが、話してみると彼は売れない画家だとのことで、そう言われてみると服の汚れは絵の具のようで、お互いの売れなさに乾杯したのもまた蛇足でして、そのような図をこそ写真にでも撮っておけば「フロムミラン」的には大成功なのだけれどわざわざカメラを持って飲みにも行くわけもなく、残念なことをしたというのもまた3本目の蛇足です。

Caravaggio - Canestra di Frutta

Caravaggio - Canestra di Frutta

要するにちょっと考えてみれば「内容」があったとして絵画や音楽においてはそれは「表面」にしか現れないことは自明なわけで、だから「音色」が大切であるというのはあまりにも単純ではあるけれど、ぼくなりの説明にはなっているようにも思います。
「音色」以外にもいろいろ表面はありまして、たとえば音の出るタイミングといいますか、これはリズムに関わることで、「ピアノの弾き方」というよりは音楽の表現の問題のようです。でも実は「音色」も音楽の表現の問題に他ならず、というのも「表面」は「内容」であるからで、ということはここでいう「ピアノの弾き方」というのはそれは「音楽の仕方」というのと同じなので、当初計画していた「椅子の高さは云々」などとは言ってはいられないということで、次回何を書くのか、ますます難しくなってきました。

悪徳

「タバコ」はもちろん、「暴飲暴食」も体に悪いことは古くから知られています。度を過ぎると、大抵のことは体に悪いものです。体に悪いと分かっていながら快楽に走ってしまうのは、よくないことです。満足を求めて何事にも飽き足らず、何かと度を過ぎてしまうのは、よくないことです。

ピアニストというからにはピアノを上手に弾けなくては話になりません。ピアノを毎日練習して、音一つ間違わず、解釈も筋が通っていて、作曲家の意図をストレートに伝えるような演奏をすることが、ピアニストの本望です。

でも、作曲家の意図がストレートであったかどうか、シューマンはハイネを素直に解釈できたのか、ベルトランは健康な詩人なのか、ダンテの天国には「しなかったことへの後悔」が充満しているのではなかったか、芸術の道徳的な価値なんてワーグナーを愛したナチストを見れば幻想に過ぎなかったことは明らかなのではないのか・・・。

そういう話ではなかった。

暴飲暴食愛煙家、バイロン気取り、カラヴァッジョ、フランソワ・ヴィヨン、などは、大器晩成を目指すしかないしがない無名ピアニストには無縁であります。

Trattoria Dei Bana Ai Buranelli, Via Buranelli - Treviso

Trattoria Dei Bana Ai Buranelli, Via Buranelli - Treviso