カルタニッセッタその7

20071215

その後僕が何をしたか。

例えばコンサート直前にギャラを20%少なくしか払えないといわれて何を思い、どう反応したか。コンサートにどのように臨み、出来はどうであったのか。コンサート後のディナーが如何に贅沢なものであったのか。などはもう書く時間がなくなった。

そろそろ飛行機に乗る時間なのだ。

今日、カターニア空港に着いてみると、僕の飛行機はすでに2時間前に飛び立ってしまっていた。チェックインカウンターの女性は「この便の出発時刻は2ヶ月前に変更されました。」と説明した。恐らく僕が日本にいた時期だったので電話がつながらなかったのであろう。結局4時間後の飛行機に乗せられることになり、真新しい空港のバールで例のどろっとしたエスプレッソを飲みながら、時間つぶしにこんな文章を書いてみただけのことである。

カルタニセッタ その1

午後3時、約1時間遅れでカターニア Catania の空港に降りた。

2人の若者が “MAESTRO TAKAHIRO YOSHIKAWA” と書かれた大きな紙を持って待っていてくれた。カルタニセッタ Caltanissetta まで小1時間かかるので、もしお腹が空いていたら空港のバールで何か召し上がりますか、と聞かれたけれど、ミラノを発つ前にリナーテ空港でパニーノを食べ たので「カフェだけ」と答えると、1人はレジに走り、もう1人は僕を無言でカウンターに導いた。シチリアのもてなしはいつも少しハードボイルドである。

今年3月に来た時にはまだ建設中だった新空港。ガラス張りのデザイン空港よりも以前の古ぼけた空港のほうが僕の性には合っていた。

空港からカルタニセッタまで、若者はイタリアを代表する大衆車FIATのPUNTOを130キロで飛ばす。

発車してすぐ、運転している若者はコンサートの主催者Z氏に携帯から電話をし、僕に代わった。「マエストロ!このたびははるばる遠方からお越しいただき 誠にありがとうございます。云々・・・」大きな声での前口上が非常に長く、僕はほとんど聞いていない。最後に「7時半にホテルにお迎えにあがります。ぜひ 夕食をご一緒に。」と言っていた。

カルタニセッタの町の中心にある3つ星ホテル に到着した。

前回来た時は少し郊外にあるが、町で一番設備が整っているという4つ星ホテルに泊まった。今回のホテルはそれに比べると少し落ちる。暑すぎる部屋の温度 はセントラル・ヒーティングなので調節できない。冷蔵庫にはガス入りとガスなしの小さなペットボトルが1本ずつ入っているだけで、節約のためかコンセント は抜いてあった。シーツやタオルの類は清潔なのだろうけれど、かすかに下水の臭いのするシャワーのタオルは端が少し破れており、ベッド・カヴァーにはなに やら染みらしきものがある。友人達からはディプロマティックであるとからかわれるけれど、こういう場合、僕はまず文句は言わない。ここでクレームをつけて も気まずくなるだけで何も解決しないのを知っているからである。たとえ解決したとしても、申し分のないホテルなら上手く弾けるかというとそれは分からな い。もう少しましなホテルの方が良く眠れるかどうかも確かではない。このホテルは劇場から徒歩2分、立地は申し分ないのだ。

前回のホテルは郊外にあったので、街の中心に行く時には前回のコンサートを主催したこの町の有力な弁護士X氏が自慢のジャガーで往復してくれた。コンサートの次の日には彼の自宅で娘さんや孫達とのお昼に招いてくれ、家族の人たちとも親しくなった。

ホテルの部屋についてすぐ、早速X氏に電話をしてみた。

「タカヒロ! Ben tornato! 7時に迎えにいくから夕食でもどうだ?」

彼も声は大きいが単刀直入、話は短い。僕がZ氏が7時半に迎えに来ることになっていると言うと、

「心配するな。Zには私から言って置く。」電話を切られてしまった。

話を付けて置くということなので彼に従うことにした。それまで2時間以上ある。少し散歩をすることにした。(つづく)