茶の本 THE BOOK OF TEA

岡倉天心

岡倉天心

日本に帰るといつも何冊か文庫本を買います。たいていは滞在中に読んでしまい、買いに行く時間があまりないと同じ本を読みなおしたりします。同じ本を何度も読むのが好きです。
 この夏帰国したときには「茶の本」を読みました。
 いわずと知れた岡倉天心(覚三)の英語で書いた古典です。天心という人がいかに破天荒な人生を送ったか、ずば抜けた知性と強い性格と広い見識を持った人であったか、についてはここに書くには及ばないと思います。
 この本は当時(1906年)の西洋人に茶とその精神を紹介し、それを通して日本の理解を促すべく書かれたものだと思われますが、今となっては日本人にも面白い情報がいろいろ書いてある楽しめる一冊だ、と思ったとしたらそれは僕らの世代の日本人には(あるいは単純に僕には)もう、かつての日本人としての常識が欠けているからかもしれません。
 僕の読んだ岩波文庫版には訳者のはしがきとして弟さんの文章が冒頭にありますが、そのなかで、

情熱の人詩人バイロンに、風貌において性向において大いに類似を示した兄には、云々

という文章があり、性向はともかく風貌は僕だってジョージ・クルーニーに似ていると言いたくなりました。

George Gordon Byron

George Gordon Byron

イタリア人は人の風貌について、目の色(青、緑、グレー、茶、黒など)と髪の色(黒、茶、金など)と髪の質(ストレート、てんねんパーマなど)をまず口にするのを耳にしますが、日本人は目はほとんど全員黒、髪も黒でストレートがほとんどなので、人を見たときにどんな目の色でどんな髪の色でというのは僕は覚えていないことが多く(目の色については西洋人と違って僕らはあまり目を直視して話さないから覚えていないのかもしれない)、それから鼻の形(あまり大きいのは不細工だとされる)とか輪郭とか、細部の見方も何となく違うと思わされることがよくあります。その分彼らは東洋人の顔を見分けるのは得意ではないようにも思います。
 天心とバイロンが大いに類似しているとは流石に弟さん少し言い過ぎましたけど、今のようにテレビもなく日常的に西洋人の顔を見ることのなかった昔の日本人にとっては、外国人の顔を見分けることが今の僕たちよりも不得意であったに違いないと思いました。