ワーグナー エレジー 変イ長調

リストの巡礼の年の第2年と第3年の抜粋を録画した時に、エステ荘の糸杉などはあまりにもヴェーゼンドンク風なので、最後にアンコール代わりにワーグナーのエレジーを収録しました。

ワグナー作曲 ヴェーゼンドンク歌曲集第3曲『温室にて』ソプラノ:キルステン・フラグスタート/ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィル

この曲はピアノ曲というよりスケッチのようなものですね。ヴィスコンティが『ルートヴィッヒ』という映画の音楽で取り上げたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

ヴィスコンティ監督『ルートヴィッヒ』予告編 3分11秒からが「エレジー」オーケストラ版です(フランコ・マンニーノ編曲)

1882年3月シチリアのパレルモに滞在していたワーグナーはこの13小節の音楽の自筆譜を完成間もないパルシファルの総譜に挟んでいて、妻コジマ(リストの娘)に弾いて聞かせており、彼女は、そのメロディーは「まるで私たちの存在の奥深くから咲く睡蓮」のようだったという言葉を残しています。

1883年ヴェニスのヴェンドラミン宮で死の前夜に「パルシファルのスコアに閉じられている筈の素晴らしい旋律の自筆譜を紙の束から見つけ」コジマに聞かせたのもエレジーだったのではないかと言われており、その印象をコジマは「私の魂の秘密のヴェール」と書き残しています。

Cà Vendramin Calergi

Cà Vendramin Calergi

1931年8月29日バイロイト音楽祭でパルシファルの指揮を終えたアルトゥーロ・トスカニーニはワーグナーの娘エファからエレジーの自筆譜を受け取っています。

Arturo Toscanini

Arturo Toscanini

Takahiro Yoshikawa plays Liszt – Wagner
リスト:巡礼の年
第2年「イタリア」より
婚礼
物思いに沈む人
ペトラルカのソネット第104番
ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲
第3年より
エステ荘の糸杉にI:哀歌
エステ荘の糸杉にII:哀歌
エステ荘の噴水
ワーグナー:エレジー変イ長調

カルタニセッタ その2

特に見るものも無く、あったとしても知らず、ただ、ホテルの周辺をぶらぶら歩くのである。

クリスマス近く、町は多くの人で賑わっている。ミラノよりも平均身長が低いのだろうか、自分だけ周囲から飛び出ているように感じる。そのせいか、あるいは鼻毛でも出ていたのか、立ち止まり、あるいは振り返り僕のことを凝視する人がいる。そもそもイタリアでは人のことをじろじろ見るということがあまり失礼にはあたらないらしい。あまり近くで目が合うと、僕は挨拶をしてみる。「Buona sera」彼らの表情は一変し、挨拶を返してくる。東洋人が珍しく、しかも彼らより背が高く、多分鼻毛なんかも出ている僕のことを、彼ら田舎の人たちは半ば興味本位、半ば警戒心で見るのであるから、挨拶は有効なのだ。

人口約6万人、観光名所も無く、特に美しくも豊かでもないこの地方の小都市も、建物は古い石造りで、町並みにはなにやら味わいがある。看板やネオンも少 しは町との調和が考えてある。いや、おそらく何も考えなくても日本の大都市のようにトンチンカンなことにはならないのだろう。このような町並みの中で生ま れ育つことで、ある種の美的感覚が備わらずにはおられない。生まれ、育ち、生活の中に染み込んでいる感覚、これは強い。特に高尚な考えがあるわけではな い。中身は無いかもしれない。考えてみると、美しい物の「中身」、「本質」という考え方は妄想に過ぎない、とも言い得るのではないか・・。

ミケランジェロについて考えてみる。

80歳を過ぎても人を心底信用することが出来ず、人嫌い、故に人にも嫌われた。人を信用できないから自分で大理石を採りに行き、老体に鞭打って自分で山 を引っ張って下り、体を壊した。彼のピエタが人の心を打つのは、彼の神への愛でも人への愛でもなく、その作品の力所以である。その美は彫刻の表面にのみあ る。当たり前のことだ。

ヴェルディがスコアの中にはPPP(ものすごく小さな音で)と書き込んだのに、実際にその箇所を指揮したときにはオーケストラにf(大きな音で)を要求 し、そのときオケの中でチェロを弾いていたトスカニーニがその劇場的感覚にいたく感動したという話が伝えられている。歌手とオケとのバランス、劇場の音 響、お客さんへの分かり易さ。劇場的感覚とは実践的なテクニックである。浅い。寄席である。客に受けたいのだ。そこに美を追求し、トスカニーニのあの厳しいベートーヴェンが生まれる。

意味なんて存在しない。生きている理由を問うのはナンセンスである。「美」は難しいものではない。世界は劇場だ。楽しむことだ。(僕はまだ酔っ払ってはいない。)

渋江抽斎は、字句の意味を広く深く極めることが学業の始まりであると言っていたらしく、鴎外は、それは始まりであると同時に一生かかるかもしれない大仕 事でもあるな、というようなことを書いていたように記憶しているけれど、なんとも言えずイタリアンな感覚である。文学者或いは文章家が言葉の語源を深く調 べることは、彫刻家が自分で石を採りに行くのに似てはいないだろうか。

芸術家は出来るだけ多くの人を楽しませようとする。多くの人に楽しんでもらうには分かり易い必要がある。その反面、たくさん勉強してしまった芸術家自身も納得するものを作りたい。そこに語源への、石そのものへのこだわりがある。
楽しくてやさしくて悲しくて気高い小説を書きたいと言ったのは太宰だったと思うが、それは本当に難しいことだ。楽しいと悲しいとは生活の全幅であり、優しいと気高いは、理想と思想の世界に属するものであろうか。

とりとめのないことを考えながら歩き続ける。(つづく)