ピアノの弾き方など 3

数日前にある立ち飲み屋さんで最近の演劇などが話題になり、友人が「この間のホニャララの演出は表面的でくだらなかった」と言ったとき、すぐ横に立っていたヒゲモジャでキッタナイ服を着たお兄さんが「芸術に表面的じゃないことってあるのか?」との問いを発し、それを聞いた僕が思わずもう一杯注文してしまったのは蛇足ですが、話してみると彼は売れない画家だとのことで、そう言われてみると服の汚れは絵の具のようで、お互いの売れなさに乾杯したのもまた蛇足でして、そのような図をこそ写真にでも撮っておけば「フロムミラン」的には大成功なのだけれどわざわざカメラを持って飲みにも行くわけもなく、残念なことをしたというのもまた3本目の蛇足です。

Caravaggio - Canestra di Frutta

Caravaggio - Canestra di Frutta

要するにちょっと考えてみれば「内容」があったとして絵画や音楽においてはそれは「表面」にしか現れないことは自明なわけで、だから「音色」が大切であるというのはあまりにも単純ではあるけれど、ぼくなりの説明にはなっているようにも思います。
「音色」以外にもいろいろ表面はありまして、たとえば音の出るタイミングといいますか、これはリズムに関わることで、「ピアノの弾き方」というよりは音楽の表現の問題のようです。でも実は「音色」も音楽の表現の問題に他ならず、というのも「表面」は「内容」であるからで、ということはここでいう「ピアノの弾き方」というのはそれは「音楽の仕方」というのと同じなので、当初計画していた「椅子の高さは云々」などとは言ってはいられないということで、次回何を書くのか、ますます難しくなってきました。

経済とワイン

経済、今危機に瀕している経済というのは、資本主義の社会の中でのことで、その社会は民主主義でもあって、ということは要するに政治のシステムの上に成り立っていると思う。イデオロギー(日本語あってますか?イデオロジーでしょうか?)は、僕の思うに道徳と哲学に基づかざるを得ない。決定権を持つ人には、個人の幸せとは何か、生きる意味とは何か、世界の意味とは何か、個人の価値とは何か、そのあたりの問題にはっきり答えてもらいたい。(決定権を持つ人というのは自分を含めた選挙権を持っている人という意味です。)

「社会的な地位を持って初めて政治的な態度を決めることが出来る。」というような言葉を聞いたことがあるけれど、そんななまやさしい、中途半端な問題ではない。この言葉は、「人は自分に都合のいいものを選ぶ」というのと大差がない。そうではない、と思いたい。むむむ、ムツカシイなあ・・・。

ともかく、経済を公の場で語る人が、「政治はちょっと勘弁してください」、道徳は「あまり経済とは関係がないようですが・・・」、宗教は「石油の話ですか?」、哲学はテンプンカンプンというようなことでは、破綻したって不思議はないわけだ。

ちょうど、ボルドーのワインの、あれがおいしい、これはいまいち、と1本何万円もするようなワインの寸評をする人が、ヴェルレーヌもボードレールもフォレもドビュッシーもマティスもセザンヌも全く知らなかったとしたら、ちょっと変なのと似ている。

今夜はボルドーの安い赤ワインを飲んでちょっと酔っぱらってしまったのである。

味見をする前にラべルは見ない

味見をする前にラべルは見ない

おいしくっても一気飲みは避ける

おいしくっても一気飲みは避ける

思いをハセタリする振りをする

思いをハセタリする振りをする

ラベルを凝視

ラベルを凝視

ちょっとほろ酔い

ちょっとほろ酔い



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